2009年06月22日

心身問題とは、心と体の状態との間の関係を

心身問題とは、心と体の状態との間の関係を説明する問題である。[17] この分野で活躍する哲学者の目的のひとつは、(一般的に非物質的であると考えられている)心というものが、どうして物質的な肉体に影響を与えることができるのか、そしてまたその逆もどうして可能なのか、を説明することにある。

われわれの知覚経験は外界からどんな刺激が様々な感覚器にやって来るかに応じて決まる。つまりこれらの刺激が原因になって、われわれの心の状態に変化がもたらされ、最終的にはわれわれが快不快の感覚を感じることになる。例えば1枚のピザを食べたいと欲したひとは、欲しているものを得るために、それにふさわしい仕方でふさわしい方向に身を動かそうとするだろう。ところで、ただの電気化学的な特性をもっているにすぎない不活性な放射線のかたまりから、どうすれば意識経験が発生することができるのだろうか[9]。あるいはまた、あるひとの命題表明(propositional attitude)すなわち信念や願望は、どのようにしてその人のニューロンを刺激し、筋肉をただしい仕方で収縮させる原因になるのだろうか。こうした問いは、遅くともデカルトの時代から認識論者や心の哲学者たちが延々と検討してきた難問なのである[6]。

心身問題に対する二元論の回答 [編集]
二元論は心と物質の関係についてのひとつの考え方である。二元論の出発点には、心的現象とはある意味で非物理的なものだという要求がある[7]。心身二元論をもっとも早く定式化した現在知られている主張のひとつは東洋哲学にみられる。ヒンズー哲学のサーンキヤ学派やヨーガ学派(紀元前650年前後)では、世界をプルシャ(精神)とプラクルティ(物質的実体)の二つに分けている[5]。具体的には、パタンジャリが編纂した『ヨーガ・スートラ』が心の本性について分析的に論及している。
バンジージャンプ
地球温暖化
体外離脱
白血病
花見
VDT症候群
元素周期表
油彩画
民話
翻訳
賃貸借
水上スキー
漢方薬
スキー
心療内科
妖怪
血液学
近畿地方
ウエストナイル熱
中国地方

西洋哲学で最も早い時期に二元論的な思想を展開したのはプラトンとアリストテレスの著作である。理屈は異なるが、両者とも人間の知性というものは物理的身体と同一ではありえないし、物理学的な用語で説明することもできないと主張している[1][2]。とはいえ、二元論として最もよく知られているのはデカルトのもの(1641年)だろう。デカルトによれば心には延長がないので、物質的な実体ではない[6]。デカルトは心が意識や自己認識と同一であると述べた最初のひとである。そして、心は脳とは異なるということも主張していた。従ってデカルトが史上初めて心身論を今日まで続いているような仕方で定式化したのである[6]。

二元論擁護論 [編集]
二元論を擁護する論証のうち最も大きなものは、哲学的なトレーニングを受けていない人々の大多数の人々の持つ常識的な直感にそれがアピールする、というものである。心とは何か、と問われて、平均的な人々なら通常、「心とは心理学的な自己のことだ」とか「パーソナリティ」のことだ」、「魂のことだ」と返事したり、他の類似の実在を挙げることだろう。心とは脳のことであるとか、反対に脳は心である、といった考えはほぼ確実に否定されることだろう。たった一つの存在論的な実在があると考えるのはあまりに機械論的で、理解しがたくさえ思われるからである[7]。しかし現代の心の哲学者の大半は、こういう直感的な考えはたぶん誤解を招くと考えている。われわれは自然科学から得られた経験的な証拠に拠りながら批判能力を発揮し、こうした仮説を検証して、それが正しい基礎にもとづいたものかどうかを明らかにすべきなのである[7]。

二元論を擁護する論証のうち主要な第二のものは、心の特性と物理的身体の特性はひどく異なっており、場合によっては両立しがたくさえあるように見える、ということである[18]。心的出来事はなんらかの主観的な特質を備えているが、物理的出来事はそうではない。従って、例えば指を火傷するとどんな感じがするかとか、青い空はどんな感じかとか、快い音楽を聴くとどう思うかなどと人に聞くことは理に適っているが、海馬側背部のグルタミン酸摂取が急増するとどんな感じがするか、などと聞くのは意味がないか、少なくとも奇妙である。

心の哲学は心的出来事の主観的側面をクオリア(あるいは生の感覚)と呼ぶ[18]。痛みを感じたり、澄み渡った青空を見たりするのはなんらかの出来事であろう。こうした心的な出来事にはクオリアが関わっており、物理的出来事には還元しがたいと思われる

2009年06月05日

朝鮮銀行

朝鮮銀行(ちょうせんぎんこう、朝鮮語:조선은행)は、日本の特殊銀行の一つである。略称は鮮銀(せんぎん)。

近代金融制度の基盤がないまま欧米や日本の資本主義の影響を受けた李氏朝鮮では、1884年以後日本の第一銀行韓国総支店(1878年設立)に関税収入の管理を委託し、やがてそれを担保にして同銀行からの融資を受けるようになった。1902年以降大韓帝国(李氏朝鮮が改称)で第一銀行券を発行して、それを韓国の公用紙幣として流通させる権利を得て、事実上の中央銀行化した。

第一次日韓協約により目賀田種太郎が韓国の財務顧問につくと、民間銀行に過ぎない第一銀行が外国の中央銀行業務を行っている事を問題視して韓国統監伊藤博文と相談した結果、日韓併合直前の1909年に大韓帝国政府、日本皇室、韓国皇室および個人から資本金により設立された韓国銀行条例(韓国法)に基づく中央銀行・韓国銀行が設立されて、第一銀行から中央銀行業務を取り上げた。その韓国銀行は併合後の1911年には朝鮮銀行法(日本法)に基づく特殊銀行として朝鮮銀行と改称された。

なお、日韓併合時に、日本銀行券を朝鮮にも流通させようという意見が有力であったが、元老で財政通として知られていた松方正義が、「朝鮮経済の不安定さがそのまま内地に影響するのはまずい」との見解を示したことから朝鮮銀行券を発行することになったという。
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朝鮮銀行は日本政府から保護を受けて、朝鮮銀行券を発行して金貨・銀貨・日本銀行券との兌換が保障されていた。民間の普通銀行と同じような融資・手形割引などの業務も行ない、朝鮮総督府に対する資金の貸付も行った。だが、密かに日本国内企業への貸付も行って、朝鮮における産業育成という設立当初の目的から逸脱した行動をするようになり、第一次世界大戦終結後に長く続いた不況で融資の焦げ付きが明るみに出た。これに激怒した日本政府は1924年に監督権を朝鮮総督から大蔵大臣に移して、日本銀行からの緊急融資を受けて事態を乗り切った。

一方、日本軍とともに占領地へ進出したため朝鮮以外に内地及び満州、中国北部及びシベリアに支店等を持った。後に満州に関しては満州国と折半で満州興業銀行を設置して業務を譲渡している。1938年には華北を中心に中国聯合準備銀行が創設され相互に架空の預金を持ち合ったことにして大量に軍事用の通貨を発行し満州の軍閥の発行した通貨の整理を図った。だが、戦局の拡大とともに戦火を直接受けなかった朝鮮半島では、景気が上向いて朝鮮銀行の経営状態も改善されて1943年には不良債権の一掃を果たした。

2009年05月01日

徳川忠長

徳川 忠長(とくがわ ただなが)は、江戸時代初期の駿府城主である。江戸幕府第二代将軍・徳川秀忠の三男で、母は浅井長政の娘の江。兄に第三代将軍・徳川家光。正室は小幡藩主織田信良の長女・昌子(久姫)[1]。駿府藩主。幼名は国松(国千代)。北丸殿。極位極官が従二位権大納言で、領地が主に駿河国であった事から、通称は駿河大納言。誕生日は5月7日説(「徳川幕府家譜」)、6月1日説(「慶長見聞録案紙」)、12月3日説(「幕府祚胤伝」)など諸説がある。近年の研究では松平姓であったことが顕かにされている

江戸城に生まれる。乳母として朝倉局(土井利勝妹、朝倉宣正妻)が附けられたという。父の秀忠や母の江は、病弱であった兄・竹千代(家光)よりも容姿端麗な国松を寵愛していたとされ、世継争いがあったとする巷説が生まれた。(実際には忠長の方が兄家光より政治家の素質が強かったかららしい。)

元和年間には家光の世継が決定する。『甲斐国志』によれば、忠長は元和2年(あるいは元和4年1618年)9月に甲府藩23万8000石を拝領し、甲府城主となる。忠長には朝倉宣正や郡内地方を治めていた鳥居成次らが附家老となり家臣団が編成される(『武徳編年集成』による)。忠長家臣団には後に武田遺臣や大久保長安配下の代官衆らが加えられており、忠長自身が入甲することはなく実務は代官衆により行われている。

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元和6年(1620年)9月に家光とともに元服し、名を忠長と改める。元和9年(1623年)7月、家光の将軍宣下に際し、中納言に任官。寛永元年(1624年)7月には駿府城を与えられて転封し、55万石を領有する。寛永3年(1626年)、後水尾天皇の二条行幸の上洛にも随行する。

寛永8年(1631年)頃、辻斬りや家臣の手打、浅間神社で猿を狩るなどの行状が見られ、細川氏などの大名の間では、改易された松平忠輝や松平忠直のようになると風聞されている(『細川家史料』による)。将軍・家光からも注意され、大御所・秀忠は忠長の出仕を停止し、忠長は秀忠側近の崇伝らを介して赦免を乞うが、5月には甲府への蟄居を命じられる。秀忠の死後の寛永9年(1632年)、家光から駿河・甲斐両国を没収され、安藤重長に預けられる形で高崎(上野国)へ逼塞の処分が下される。翌年には高崎城で自害した。享年28。また、新倉や鳥居ら家臣団も処罰されている。

2009年04月17日

セント・ジェームズ宮殿

セント・ジェームズ宮殿 (St. James's Palace)は、ロンドンにある最も古い宮殿の一つ。セント・ジェームズ公園のちょうど北側、ポール・マルにある。

歴史 [編集]
宮殿はヘンリー8世の命令で、聖ジェームズに捧げられたハンセン病患者用病院がかつてあった場所に建てられた。新宮殿は、ヘンリー8世がホワイトホール宮殿に次いで肩入れしたもので、4つの中庭を囲むテューダー様式の赤煉瓦で建設された。多角形の小塔の側に立つ門番小屋が、今も北側に残る。ホワイトホール宮殿が火事で使用できなくなった1698年から、ロンドンでのテューダー王家の第一の王宮となり、王朝の行政管理センターとなった(この法は今も残る)。メアリー1世はここで亡くなり、彼女の心臓と内臓は宮殿内の王室礼拝堂に埋葬された。エリザベス1世は、スペインのアルマダ艦隊がイギリス海峡を航行するのを待つ間、夜をこの宮殿で過ごしたと言われている。チャールズ1世は、処刑前夜にここに泊まり、少なくともぐっすり眠った。オリヴァー・クロムウェルは宮殿を引き継ぐと、共和制の間兵舎として使用させた。
ハノーヴァー王家の最初の3代の王たちは、他のヨーロッパ王家の都市宮殿の豪勢さとはほど遠いセント・ジェームズ宮殿を、ロンドンでの第一の王宮として使用していた。ダニエル・デフォーは1725年に、宮殿を『安っぽくてみすぼらしい』と言及している。1809年、火事が起き、王家の私室のある南東角を含む宮殿の一部が損傷した。この私室は修復されず、クイーンズ・チャペルが孤立して残った。宮殿とチャペルの間には、今マールバラ・ロードが走っている。ジョージ3世は、王妃シャーロットを戻すためにバッキンガム・ハウス(バッキンガム宮殿の前身)を1762年に購入した。宮殿は、引き続いて19世紀前半まで重要な場所として使用されていた。次第に、限られた公式行事、歓迎式典、王家の結婚式、洗礼式などに使用されるだけになっていった。ヴィクトリア女王は、1837年に形式的に引っ越しをし、王家の住まいとしてのセント・ジェームズ宮殿の地位は役目を終えた。いくつかの建造物と内装がクリストファー・レンとウィリアム・ケントの手で修復されたが、多くは19世紀中に改造された。ウィリアム・モリスと彼の仲間たちは、1866年から67年にかけ、武器庫とタペストリーの間の再装飾を命じられた。

セント・ジェームズ宮殿は、現在も使用され、宮廷もこの場所を公的な基盤としている。外国からイギリスへ派遣された大使たちは、バッキンガム宮殿で女王から信任状を受けるというのに、未だ形式的には『セント・ジェームズの宮廷』に派遣されたことになっている。宮殿は、アン王女とアレクサンドラ王女(en:Princess Alexandra, The Honourable Lady Ogilvy、ケント公ジョージの長女。エリザベス2世の従妹)のロンドンでの住居とされている。宮殿の形体は、不規則に広がった建物が宮廷オフィス、公用棟として建つ。混合部分には、かつてプリンス・オブ・ウェールズ、チャールズとウィリアム王子、ヘンリー王子が住んでいたヨーク・ハウス、イギリス政府が公式歓迎式典用に使用していたランカスター・ハウスがある。かつてエリザベス王太后が住み、現在はプリンス・オブ・ウェールズ邸であるクラレンス・ハウス宮殿が近くにある。

イニゴー・ジョーンズの建てたクイーンズ・チャペルは、セント・ジェームズ宮殿に隣接する。限られた時期にチャペルが一般公開される間、宮殿の一般公開は中止される。セント・ジェームズ宮殿は宮内庁から派遣された護衛兵がいる、ロンドンの4つの建物の一つである(他の三カ所は、バッキンガム宮殿、クラレンス・ハウス、ホース・ガーズである)

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2009年04月02日

太極図

太極図(たいきょくず)とは、太極から始まる宇宙生成を描いた図をいう。『周易』繋辞上伝にある「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず(易有太極、是生兩儀、兩儀生四象、四象生八卦)」に由来し、宋易(宋代から興起した朱子学系統の易学)や道教において重視された。

太極図は歴史上、下記のようにさまざまに描かれてきた。ただし、どの図においても太極自体は○(円)で表された。

太極図が文献として確認されるのは北宋の周敦頤の著した『太極図説』(11世紀)が最初である。『易』繋辞上伝における「太極 - 両儀 - 四象 - 八卦」にもとづきつつ陰陽五行や『老子』の無極を取り入れて万物化生にいたる宇宙生成モデルを表した。一番上の太極(=無極)から陰陽、五行、乾坤男女、万物と生成される過程が描かれている。南宋の朱熹は太極=理と定義してこの図を重視し、『太極図説解』を著して朱子学を補完するための基礎文献とした。

この太極図の由来については周敦頤の創作とする説と先行する道教系統の図があったとする両説がある。周敦頤作とするのは友人潘興嗣が撰した『濂渓先生墓志銘』にある「尤も善く名理を談じ、易学に深く、『太極図』『易説』『易通』数十篇を作れり」という記述がもとになり、朱熹もこれを信じた。一方、周敦頤作を疑うのは南宋初の朱震の「陳摶は「『先天図』を以て种放に伝え、放は穆脩に伝え、穆脩は李之才に伝え、之才は邵雍に伝う。…穆脩は『太極図』を以て周惇頤に伝え、惇頤は程顥・程頤に伝う」という発言にもとづいており、早くには陸九淵がこれにより「朱元晦に与える書」において懐疑を提示している。朱子学を批判し、考証学を重んじた清代の儒学者たちは「太極図」は周敦頤の作ではなく、道教に由来すると主張した。朱彝尊は『太極図授受考』において「漢以来の儒者たちには『易』について語っても太極図についての言及はなく、ただ道教の『上方大洞真元妙経』が太極・三五の説を著し、唐玄宗御序・東蜀衛琪注の『玉清無極洞仙経』に無極・太極の図がある」と述べた。また黄宗炎は『太極図説辨』『図書辨惑』などにおいて周敦頤太極図は五代末の道士陳摶の伝えたという3つの易図の一つ「無極図」に由来するとし、また陳摶無極図の第3層「五気朝元図」は『周易参同契』(内丹の基本経典)に基づく「三五至精図」に、第2層の「取坎填離図」は『参同契』の「水火匡廓図」に由来するとして方士の錬丹術にもとづいているとした。現在では、この清朝の学説を踏襲する人も多いが、周敦頤太極図が先行し、道教で無極・太極の概念を教義に取りこんでいく過程で逆にこれらの諸図が作られていったとする説も有力である。

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2009年03月19日

カルタゴを滅亡させたローマ

地味豊かで交易の要所でもあったカルタゴの故地には、カルタゴを滅亡させたローマによって新たな殖民市が造られた。最初の植民は紀元前122年に護民官ガイウス・センプロニウス・グラックスによって企画された。この計画はローマにおいてグラックスの進めていた改革の支持票を獲得するための人気取りの意味合いも強かった。この計画の結果コロニア・ユノニア(ユノ植民市)として新たな都市が造られたが、ローマでのグラックスの失脚に伴いその後大規模な植民が行なわれることはなかった。

2度目はガイウス・ユリウス・カエサルによって計画され、アウグストゥスによって実行された。ユリウス・カルタゴ植民市として再建された都市は、以降アフリカにおけるローマの最も重要な都市として位置付けられ、ローマ帝国の西方でローマに次ぐ第2の都市となった。ローマの再建した植民市は2度ともカルタゴとは異なった名がつけられたが常にカルタゴの名で呼ばれつづけた。

現在にまで残るカルタゴの遺跡のほとんどはこのローマ時代のものである。

近郊のタガステ(ティムガッド)出身のアウグスティヌスは青年期をカルタゴで過ごし弁論術を学んだ。クラウディウス帝は全8巻からなる「カルタゴ史」を書いたが、現在は散逸している。

ヴァンダルによる征服と東ローマ帝国による奪回 [編集]
5世紀、ヴァンダル族の王ガイセリックが、東ローマ帝国の将軍バシリスクス率いる海軍を破り、カルタゴを占領してこの地方にヴァンダル王国を建国。カルタゴはその首都となった。
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東ローマ帝国による奪回の試みは何度か失敗したのち、ようやく6世紀になって征服に成功した。ローマ帝国の復興を企図していた東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世は、533年に西ローマ帝国の皇女の血を引くヒルデリック王がその遠いいとこであるゲリメルによって廃位されたことを口実として、ベリサリウスを将軍とする軍隊を派遣した。ヴァンダル王国の軍隊はあっけなく敗北し、553年10月15日日曜日(9月14日という説もある)、東ローマ帝国軍は、カルタゴに入城した。略奪や虐殺は行わなかった。 こうしてカルタゴは再びローマ帝国の領土となったが、ムーア人の反乱が多発したため皇帝マウリキウスの時代に、カルタゴに総督府が置かれ、イタリア半島のラヴェンナ総督府と並んで、帝国の西方における重要拠点として組み込まれた。

610年、カルタゴ総督ヘラクレイオス(アルメニア人)の息子ヘラクレイオス(父子同名)は、時の皇帝フォカスを打倒し、自ら皇帝の座に就いている。 しかし、東ローマ帝国は、アラブ人の侵入を防ぐことができなかった。647年、ウマイヤ朝勢力がカルタゴを攻撃した。これは辛うじて退けたものの670年から683年にかけて、再び攻撃を受け、陥落した。698年には、アフリカ大陸にあった東ローマ帝国最後の拠点もウマイヤ朝が占領した。なお、イスラム勢力の占領したこの時期よりカルタゴの荒廃は進み、放棄された。

政治機構 [編集]
カルタゴの政体についての判明事項は極めて乏しい。最も有力な手掛かりは紀元前4世紀の哲学者アリストテレスの著作「政治学」の中の記述であり、それによると以下の3つの特徴を持つ。

クレタ、スパルタとカルタゴの政体は非常に似ていること
「王政」「貴族政」「民主政」の長所を併せ持っていること
実質的に「貴族政」「寡頭政」であること
個別の役職について、国家の代表は一般的にスフェス(sufet、通例複数形でsufets、司法権と行政権を持った長官)と呼ばれ、ローマのコンスル同様に1年任期であった。(語義はセム語の「ショフェト」(判事、裁判官の意)であり、ローマの史家はスフェスをレゲス(reges、王)と呼んだ)。

スフェスには軍事に関する権限はなかったが、司法と行政の権限を付与された1人か2人のスフェスが富豪や影響力をもった一族から選出された。また、軍事上の特別職として「将軍」がありハンニバルもこれに選ばれた。 また、貴族たちから選出された代議員によってローマの元老院に相当する機関である最高会議(元老院)を構成していた。最高会議は広範囲に渡る権限を有していたが、スフェスの選任が最高会議によるのか、市民総会(民会)によるかは論が分かれる。市民たちは立法権にも影響力を持っていたようであるが、このような民主主義的な要素はカルタゴを弱体化させたため、都市の統治では寡頭政治が堅持されることとなった。

フェニキア人は、子供を犠牲にして捧げ物にしていたことで有名である。プルタルコスは、テルトゥリアヌス、オロシウス、ディオドロス・シクロスなどと同様に、この風習を記録に残している。ティトゥス・リウィウスやポリュビオスは触れていない。

現代の考古学上の発掘から、プルタルコスの記述が正しかったことが明らかになった。トペテ(en)と呼ばれる生贄にされた子供のための共同墓地から20,000個の骨壷が出土し紀元前400年から紀元前200年の間のものと推定されている。 骨壷には、新生児の黒焦げになった骨が入っており、中には胎児や2歳ぐらいの幼児のものもあった。これは、赤ん坊が死産した場合、最も若い子供が両親によって生贄に供されたことを意味している(ただし、この風習はカルタゴの残虐性を喧伝するローマの捏造であり、トペテは疫病で死亡した幼児の葬祭所だった、とする説もある)。

2009年03月03日

インセクトアーマー

アースアカデミア日本支部で開発中だったプロトタイプアーマーに、老師グルが昆虫の力を与えて作り出した、昆虫の力と科学が融合した強化服。人間と一体化することで起動する外骨格生体甲冑であり、キチンを元に作られた疑似甲殻細胞にチタン、タングステン等の金属イオンを吸着させ、特殊硬化させたインセクタイトが外装甲として用いられている。大気中から吸収したイオンエネルギーが内部でプラズマ化して動力源となる。アーマー自体が心を持っており、変身する人間を自ら選ぶ。昆虫の力を持つため、機械を操る電波の影響も受けないが、昆虫の弱点である食虫植物の花粉や寒さには弱い。

ビーコマンダー
ビーファイターの変身アイテム。甲虫の身体がモチーフになっている。インセクトアーマーは内部に縮小圧縮されて封入されており、「重甲!」の掛け声でこれを展開して掲げると、中のインセクトアーマーが射出・分裂し、全身を覆って変身する。戦闘後は内部でアーマーを自動的に修理する。通信機としても使用可能。ブルービートに変身するコマンダーにはカブトムシ風の角、ジースタッグに変身するコマンダーにはクワガタムシ風の角、レッドルに変身するコマンダーには2本の触角がついている。

ビーファイターの武器・技
共通装備
インプットマグナム
全員共通の多機能銃。側面のテンキーで3桁のコードを選んで入力することで、様々な能力を発揮する。主な機能は以下の通り。
ビームモード(1-1-0)
消火モード(1-1-9、話数によっては「冷却モード」と呼称、コードは「119番」から)
冷凍モード(0-1-0、コードは「れい[0]・とう[10]」の語呂合わせ)
火炎モード(8-1-8、コードは「ファ[8]・イ[1]・ヤ[8]」の語呂合わせ)
フラッシュモード(9-6-4、コードは「く[9]ら・ま[6]・し[4]」の語呂合わせ)
超音波ビーム(1-0-8)
熱湯モード(0-2-6、コードは「お[0]・ふ[2]・ろ[6]」の語呂合わせ)
磁力ビーム(2-8-9、コードは「じ[2]し・ゃ[8]・く[9]」の語呂合わせ)
メディカルモード
トリモチ (3-0-5)
パルセイバー
メガヘラクレスと同時にアースアカデミア南米支部で開発された、全員共通装備の短剣。使用者の感情の高ぶりに応じてその切れ味は増し、「パルスラッシュ」という技を繰り出す。メガヘラクレスの起動キーでもある。
セイバーマグナム
インプットマグナムとパルセイバーを合体させた銃。インプットマグナムの各モードの能力が強化される(「マキシム○○モード」と呼称)。特に「マキシムビームモード」の一斉射撃はジャマール怪人にとどめを刺す威力がある。
ソニックフラップ
全員共通の技。超音波を放つ。
個人装備
スティンガーウエポン
スティンガーブレード
ブルービート用のスティンガーウエポン。ドリルの要領で回転する刃を備えた剣。刃を回転させながら斜めに斬る「ビートルブレイク」が必殺技である。
スティンガードリル
対ブラックビート用に開発されたブルービート用の新スティンガーウエポン。スティンガーブレードの刃を外し、新開発のアタッチメントに換装することで完成する。ドリル部分を高速回転させながら相手を刺し貫く「ストライクブラスト」が必殺技である。登場直後にパルセイバー、ビートイングラムが相次いで登場したため、使用回数は極めて少ない。
スティンガークロー
ジースタッグ用のスティンガーウエポン。クワガタムシの角をイメージしたアームの付いた武器である。アームは回転させることができ、掴んだ相手を遠心力をつけて投げ飛ばすことが可能。また、アームは取り外して「スティンガーブーメラン」として投げ飛ばすことができる。アーム部分にエネルギーを込めて横一文字に斬る「レイジングスラッシュ」が必殺技。
スティンガープラズマー
レッドル用のスティンガーウエポン。4連装のイオンエネルギー発生装置であり、先端部を回転させることで、敵を縛り上げるネット状のビームや、竜巻のように収束した破壊ビーム「トルネードスパーク」を放つことができる。
ビートイングラム
次元の商人カブトからブルービートに託された次元の覇者の銃。持ち主であるブルービート以外は全く使うことができない(クローンであるブラックビート自身に対し、反応だけは起こった)。スーパーブルービート時にはパルセイバーを合体させることで20倍の威力の「ファイナルモード」になり、必殺の「スーパーファイナルブロー」を放つ。
次作『ビーファイターカブト』にて、「光の意思」に味方した昆虫次元の戦士が使っていた銃であることが判明する。
その他
とまま 月の微笑 アテンポ アトゥドア トリビュ ブイWEB イアリン リスト タンザ マルチ ティック ガーナ デジャブ ぴっこ エミュー レーター マルク レンジャー チータ リーシム タカス イミング チャー オペレ トサミズ イチョウ ワラント ギアサン ミヤマ 一意専 ツァーリ テーマ ネメシア チャック プラグ フレンドリー キープトコ えいち リユース パラソル みるいろ ミル スキーヤー ダイウェブ フリータ カツラ ブラジル レジデント パテ シマル

電子高熱銃
イカリボンバの起爆装置を遠距離から破壊するために使用。
ムカイダーK3
ビーファイターが危機に陥った際に、向井博士が自ら開発したアーマーを装着した姿。アーマー色はオレンジ。武器はムカイダーマグナム。得意技はムカイダーパンチ、ムカイダーキック、敵を騙すムカイダーフェイント。耐久性が低いのが弱点。特に昆虫をモチーフとしたものではなく、昆虫パワーも持っていない。

2009年02月12日

俺たちに翼はない〜Prelude〜

当初、『俺たちに翼はない』が2008年6月28日に発売予定だったが、制作が伸びて2009年1月30日に発売日が延期されたため、その代わりとして本作品が発売された。
6月28日にこだわったのは、本作品のメインスタッフである脚本王雀孫、原画西又葵、音楽アッチョリケ、背景斉藤陽子らがかつて関わった『それは舞い散る桜のように』(BasiL)の発売日に合わせたからである。
本編の1年前を舞台にしたプレリュードシナリオ3本+1本と、本編のプロローグ2本その他を収録している。プレリュードシナリオは全て同じ一日の出来事であり、本編には収録されない予定である。
Limited Editionの特典として『俺たちに翼はない』の設定資料や今まで発表されたオフィシャルグッズイラスト、販促イラストなどを収録した、オールカラー豪華イラスト集「オリジナルビジュアルコレクション」が付いている。
サクソニ ルンバー ソブー ミルク てやり ライフ レビス 待ちぼう マジシャン 青春 オーバ フェー スクリュー ディトム チグリ ファーレ レギュレ レゾナ クホス フェムド オタク サテュロス マキシ るもい ステッチ チヂミ ボート トップ ジャッ 大同情報 ジュラル ストロ カバオ ルビー ブロー キング イラマチオ 月夜の オブシデ ジップ ギモーブ マッチ 幸運快適 つる菜 ラナイ メコン リイシュー スラッシ ローテー だて

様々な人が集う大都市「柳木原」(やなぎはら)。この街では、白い空の下、誰かのありふれた物語が生まれている。冬の季節、そんな柳木原で悩める若者たちの恋物語と群像劇。

羽田 鷹志(はねだ たかし)(声:-)
本編「羽田鷹志編」主人公。私立美空学園3年生。
「ある日の明日香」時点では2年A組で学級委員長。1年の時から渡来明日香と付き合っていることになっているが、実際にはほとんど話をしたことがない。クラスの誰とも距離を置いている。想像力たくましく、何をされても笑って許せる心の広い人物、と明日香からは思われている。
渡来 明日香(わたらい あすか)(声:森谷実園)
誕生日:7月30日(しし座) 身長:158cm 3サイズ:B84 W57 H83
本編「羽田鷹志編」メインヒロイン。美空学園3年生。
「ある日の明日香」時点では2年A組で美化委員。一般人離れした美貌と抜群のプロポーションから、「美空学園のプリンセス」と呼ばれているが、実際は人間嫌いの八方美人。マンションに一人暮らし。1年の頃から羽田鷹志と付き合っていることになっているが、実際にはほとんど話をしたことがなく、まわりからも実質フリー状態と思われている。
山科 京(やましな みやこ)(声:たなかりお)
誕生日:9月4日(おとめ座) 身長:164cm 3サイズ:B82 W56 H82
本編「羽田鷹志編」サブヒロイン。美空学園3年生。家はたばこ屋。
「ある日の京」時点では2年A組で明日香のクラスメイト。精神病疾患のため、メンタルヘルスクリニックに2年以上前から通っており、学園は休みがち。普段は臆病で暗いが、たまにテンションが高くなる。インディーズロックバンド「ロックバード」のライブに通い、ファン・コミュニティではハンドルネーム「瑠樺」(るか)で即興詩を書き込んでいる。「あのひと」を失ったためか、両手首には傷がある。
林田 美咲(はやしだ みさき)(声:遠野そよぎ)
誕生日:10月20日(てんびん座) 身長:156cm 3サイズ:B85 W57 H86
本編には登場しないサブヒロイン。美空学園2年生。
「ある日の美咲」時点では1年B組。茶道部員。玉泉日和子の親友。日和子のことは「タマちゃん」と呼ぶ。羽田鷹志のことが好きなのだが、渡来明日香と付き合っていると聞いているため、告白することができない。
玉泉 日和子(たまいずみ ひよこ)(声:五行なずな)
誕生日:10月13日(てんびん座) 身長:161cm 3サイズ:B88 W60 H89
本編「千歳鷲介編」メインヒロイン。美空学園2年B組。昨年の4月から10月まで洋食レストラン「アレキサンダー」でウェイトレスとして働いており、紀奈子の代わりとして12月から再び働くこととなる。生真面目で几帳面だが、融通が利かない。自分が正しいと思ったら、先輩だろうが先生だろうが真っ向から反論するが、実は相手の目を見て話せない。近眼で、学園以外ではメガネをかけている。学園では大っぴらに言っていないが、1年生の時にペンネーム「細川玉木」でデビューした。処女作は甘いラブストーリーである「ほほえみインサイド」。
「ある日の美咲」時点では1年B組。美咲のことは「リンダ」と呼ぶ。明日香は同じ美化委員の先輩。
鳳 鳴(おおとり なる)(声:籐野らん)
誕生日:11月10日(さそり座) 身長:148cm 3サイズ:B78 W54 H78
本編「成田隼人編」メインヒロイン。蒼穹女学院1年生。愛嬌のある八重歯の持ち主。童顔で背は小さく幼児体型。滑舌はよいが、語尾を延ばす癖がある。見かけはとろそうだが、元陸上部のせいか意外とすばしっこい。「ほほえみインサイド」は愛読書の一つ。勉強も得意でお菓子大好き。LR2001から隼人の事を聞き、春日春恵を通じて盗まれた赤い自転車の捜索を依頼する。
羽田 小鳩(はねだ こばと)(声:みなせがわゆい)
誕生日:1月25日(みずがめ座) 身長:145cm 3サイズ:B72 W57 H78
本編メインヒロイン。羽田鷹志の妹。蒼穹女学院付属1年生。
千歳 鷲介(ちとせ しゅうすけ)(声:泉菊之介)
本編「千歳鷲介編」主人公。「アレキサンダー」の常連客。表向きは陽気で社交的な性格。様々なアルバイトで日々を気ままに暮らしている貧乏フリーター。サービス業のために生まれてきたようなタイプで、ピエロになりきろうとして行動しているが、意外と空気を読んで引くところは引き、周りの人への気遣いを見せる。望月紀奈子の3回目の壮行会後に、「アレキサンダー」でアルバイトをすることになる。
成田 隼人(なりた はやと)(声:縦溝精史)
本編「成田隼人編」主人公。年齢は二十歳くらい。無駄に態度がでかく、口は悪い自称ハードボイルドだが、今一つクールに成りきれない人の良さがある。人見知りが激しい内弁慶で、人と深く付き合うことが苦手。交通費込み900円で何でもする「街の便利屋さん」で、通称「成田工務店」。春日春恵を窓口としている。しかし、仕事がなかなか来ないため、普段は肉体系労働のアルバイトをしている。暗くならないと姿を見せないため、「ドラキュラ」略して「ドラ」と呼ばれている。ボクシングの嗜みがあるらしく、結構強いのだが、「じいさん」との約束で喧嘩はしない。「柳木原フレイムバーズ」の面々とは1年前に知り合った。羽田兄妹や千歳鷲介とは知り合い。
望月 紀奈子(もちづき きなこ)(声:上田はるこ)
誕生日:1月4日(やぎ座) 身長:165cm 3サイズ:B91 W62 H90
本編「千歳鷲介編」サブヒロイン。宿木ゼミナール私立文系Aクラスに在籍の現在二浪中。受験代を稼ぐためにアルバイトで「アレキサンダー」のウェイトレスをしており、受験のため毎年12月にはバイトをやめている。衝突することが多い英里子と日和子の仲介役。穏やかで真面目な性格だが、茶目っ気もありノリもいい。グラマーな体の持ち主。時々、郷の方言が混じる。趣味はカラオケ。得意技は「横ぴぃ――す☆」。実家は苺農家。
『電撃G's magazine』(メディアワークス)上でデザインが募集され、2005年8月号に採用案が掲載された。
日野 英里子(ひの えりこ)(声:春奈有美)
誕生日:4月3日(おひつじ座) 身長:164cm 3サイズ:B83 W56 H82
本編「千歳鷲介編」サブヒロイン。天神大学経済学科1年生で、今時のギャルっぽい性格や格好をしており、「アレキサンダー」のウェイトレスのバイトをしている。日和子とは衝突することが多い。口は荒くて手も荒い。合コン好きで「コンパ潰しのエリー」を自称する。今時の女子大生タイプだが、いい加減に見えて実は意外に真面目で努力家。
米田 優(よねだ ゆう)(声:井村屋ほのか)
誕生日:12月5日(いて座) 身長:166cm 3サイズ:B85 W61 H87
本編「千歳鷲介編」サブヒロイン。祥玄社から出ている若い男性向けファッション雑誌「メンズフリーズ」の編集者2年目。出来る女の格好をしているが、失敗も多い。鷲介には時々コラムの仕事を廻している。寝起きは非常に悪い。軽部狩男は先輩にあたる。若かりし頃はコスプレイヤー。
香田 亜衣(こうだ あい)(声:沢村かすみ)
誕生日:2月29日(うお座) 身長:164cm 3サイズ:B78 W58 H84
本編「成田隼人編」サブヒロイン。蒼穹女学院1年生。今時のコギャル系の女の子。お嬢様学院に馴染めず、繁華街で遊んでばかりいるが、根は真面目で深入りはしない。LR2001達からは「コーダイン」と呼ばれている。幼なじみの森里和馬と遊ぶことが多いが、実は隼人に惚れている。しかし隼人は二人が付き合っていると勘違いしているので、相手にされていない。1年で偏差値を10以上も上げてお嬢様学院に入学するなど、その気になればやるタイプ。秘密にしているが、厚い胸パッドをしている。
『電撃G's magazine』(メディアワークス)上でデザインが募集され、2005年9月号に採用案が掲載された。
春日 春恵(かすが はるえ)(声:三つ葉)
誕生日:2月14日(みずがめ座) 身長:169cm 3サイズ:B89 W63 H91
本編「成田隼人編」サブヒロイン。柳木原の繁華街で移動式クレープ店「パルクレープ」を経営している女店主。愛称「パル」「パル姐さん」。下町生まれで、柳木原育ち。言葉は荒く気性は激しいが、面倒見のよい性格。製菓学校を卒業後、実家近くのケーキ屋で2年間働いた後に、店を出した。実家はもんじゃ屋。桃色好き。軽部狩男にはお天道様の下では語れないような前の仕事の時に世話になった。
高内 昌子(たかうち まさこ)(声:あおいろとうこ)
誕生日:9月1日(おとめ座) 身長:160cm 3サイズ : B85 W58 H84
本編「羽田鷹志編」サブヒロイン。美空学園3年生。
「ある日の明日香」時点では2年A組の学級委員で、茶道部の幽霊部員。クラス女子のボス的存在。口が悪く攻撃的なので敵は多いが、全く気にしていない。
アリス(声:佐々留美子)
誕生日:7月7日(かに座) 身長:134cm 3サイズ : 秘密
本編「成田隼人編」サブヒロイン。金髪碧眼の異国の少女。ランドセルを背中にしょって、ゴスロリの服を着て、繁華街を歩き回っている。日本語を話すことは出来るが、文法は今一つ。父は日本に駐在している外交官。クラスにはなじめないらしい。
鳳 翔(おおとり かける)(声:十利須我里)
本編「千歳鷲介編」に登場。名前欄では「カケル」となっている。「アレキサンダー」の常連客。容姿と体型と身長に恵まれた、クールな青年。イラストレイターで、イラストを描くときの名前は「鳳凰寺カケル」。本人にも作品にもオーラが漂っているが、無礼で無愛想で自分にしか興味がない。顔がよいため周囲の人気は高いが、敵も多く、鳳凰寺カケル専用の掲示板やスレでは非難囂々。父親から毎月多額の金が振り込まれるらしい。
本編「成田隼人編」に登場。鳳鳴の兄。ただし、小さい頃から別々に暮らしている。柳木原の若手不良集団をまとめた、「私設自警団・柳木原フレイムバーズ」(YFB)の筆頭代理。通称は「皇帝」「エンペラー」。得意技はチョークスラム。高級ホスト系のハイブランドで全身を固めており、ゴールドの髪を荒々しく逆立てており、芝居がかった声と口調で話しかけてくる。隼人のことがお気に入り。毎月使い切れないぐらいの金が振り込まれている。柳木原のヤクザとも深いパイプを持っている。
針生 蔵人(はりう くろうど)(声:鳩万軍曹)
「ある日の明日香」時点では美空学園3年生。色黒の美男子。明日香とは付き合いが長く、隠されている本性も知っている。全国レベルの学力の持ち主で、1年時には陸上で賞も取っている。しかし独善的で協調性が無く、気が向いたときにしか授業に出席しない。先輩10人に囲まれて返り討ちにしたことから、付いたあだ名が「インテリヤクザ」。秘密にしているが、インディーズロックバンド「ロックバード」のドラム。
本編「成田隼人編」に登場。ガード下で、ジェンベというアフリカのパーカッションを鳴らしている。そのときの名前は「ハリュー・クロード」。
森里 和馬(もりさと かずま)(声:小池竹蔵)
本編「成田隼人編」に登場。「私設自警団・柳木原フレイムバーズ」のパシリで、通称は「ペガサス」「ペガ」。美空学園3年生の落ちこぼれクラス。茶髪ロン毛。実力が無いため空回りするタイプ。普段の発言は、茶化すか冷やかすか。1年前に翔に拾われて以来、夜は柳木原の繁華街を遊び歩いている。香田亜衣とは幼なじみで、一緒に遊ぶことが多い。隼人にはいつもつっかかっている。携帯電話オタク。
「ある日の京」時点では京と同じメンタルヘルスクリニックに通っている。
軽部 狩男(かるべ かるお)(声:堀畑靖)
本編「千歳鷲介編」に登場。レストラン「アレキサンダー」花水木通り店のマスター。35歳。半年後には結婚の予定。変人で、女の子大好き。職場でも下品なセクハラ発言を連発するが、相手にしてもらえない。しかし、計算付くの行動を取っていることも多い曲者。仕事が入れば真面目になる。鶴岡工業の初代番長で、当時の異名は「白バイ狩男」「殴り殺し狩男」。
プラチナ(声:島崎比呂)
本編「成田隼人編」に登場。爽やか美形の凄腕AV女優スカウトマン。柳木原の繁華街で、これはと思った道行く女性に声をかけまくっている。今まで付き合った女性は数えきれず。人懐っこく、礼儀正しいが、腹黒。昔は役者を目指していた。
マルチネス(声:タピオカパン)
本編「成田隼人編」に登場。柳木原の繁華街でシルバーアクセサリーの露天を開いている、がたいのよい黒人。アリスの友達。ややオネエ言葉だが日本語は達者。昔はロサンゼルスのクレンショーに住んでおり、そこそこ名の通ったデザイナーだったらしい。東洋美術の研究目的で日本に渡航した。
LR2001(えるあーるにせんいち)(声:魔梵)
本編「成田隼人編」に登場。「私設自警団・柳木原フレイムバーズ」の幹部。『アンコモン』の4代目で本名は左右田仙一(そうだ せんいち)。B系ファッションの大男でスキンヘッド。喋り方は常にラップ調の、ヒップホップ系ストリートギャング。自称ロス育ち。
名前のLR2001は、本名をもじったものと思われる。L(左)R(右)2(田→{1+1=})001(仙一)。
チケドン(声:Skay bay Dan)
本編「成田隼人編」に登場。「私設自警団・柳木原フレイムバーズ」の幹部。『リディム』を仕切っている。本名島袋寛(しまぶくろ ひろし)。ドレッドヘアのレゲエ系。南米産で独特の香りがする手巻き煙草をいつも口にくわえている。
バニィD(ばにぃでぃい)(声:我妻鉄生)
本編「成田隼人編」に登場。「私設自警団・柳木原フレイムバーズ」の幹部。本名は土門大輔(どもん だいすけ)。鶴岡工業機械科3年。ガングロ、銀髪ロン毛のラテン系。見た目はチャラチャラしているが、空手の有段者。鶴岡工業では2年のときから番を張っている。
ヨーゼフ(声:コマッチョ六本木)
ヴィジュアル系の風貌。異端審問の牧師のような喋り方をするが、女性の裸絡みになると素に戻る。
満夜(みつや)(声:少林寺アキラ)
ヨーゼフ、狂夜の仲間。彼等のブレーキ役。
狂夜(きょうや)(声:森本有紗)
ヨーゼフ達の仲間。女性だが、自分のことを「僕」と言う。狂信者のような喋り方をする。
本編「成田隼人編」に登場。「ハリュー・クロード」が、ジェンベを鳴らしているときの聴衆の1人。
牧師(ぼくし)(声:?)
本編「成田隼人編」に登場。隼人が小さい頃通っていた教会の老牧師。住宅地の真ん中にある小さな教会で、平日の午後は一階の集会所や遊戯室を地域の住民に開放していた。喧嘩や人生観など、色々な面で隼人の師。
エージ(声:?)
本編「成田隼人編」に登場。隼人にろくでもない仕事ばかりを紹介する仲介人。ヒモのチンピラ。声のみの登場で、立ち絵はない。
シトラス(声:籐野らん)
NavelのブランドキャラクターであるNavel Girlsの一人。「ブルブル劇場」で登場。物語には髪の毛一本たりとも登場しない。『俺たちに翼はない』で一番好きなキャラクターは鳳鳴で、特に声がよいとのこと。
ミネオラ・タンジェロ(声:星咲イリア)
NavelのブランドキャラクターであるNavel Girlsの一人。「ブルブル劇場」で登場。物語には一切登場しない。先代のミネオラが母の仕事の都合で遠いところへ引っ越したため、Navel Girls研修生の中から初代に近い性格の娘が選ばれた。ポンカンよりは先輩。
ポンカン(声:吉野なつき)
NavelのブランドキャラクターであるNavel Girlsの見習い。「ブルブル劇場」で登場。物語には一切登場しない。見習いでは生活が苦しいため、「ブルブル劇場」ではADのアルバイトをしている。Navel Girlsは世襲制で、今のポンカンは5人目らしい。

真聡(まさと)(声:籐野らん)
Navel全作品に登場する常連端役。謎のスカートめくり少年。彼に捲られる女性の下着(パンツ)はいつも縞々模様のものである。今回、被害に遭うのは羽田小鳩。

2009年01月26日

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ

ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(ロシア語: Дмитрий Дмитриевич Шостакович(ヘルプ・ファイル) ドミートリイ・ドミートリイェヴィチュ・シャスタコーヴィチュ; ラテン文字転写の例: Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906年9月25日(ロシア暦9月12日) - 1975年8月9日)は、ソビエト連邦時代の作曲家。交響曲や弦楽四重奏曲が有名。

プロコフィエフと共に、マーラー以降の最大の交響曲作曲家としての評価がほぼ確立され、世界的にも特に交響曲の大家と認知されている。また、弦楽四重奏曲においても秀逸な曲を残し、芸術音楽における20世紀最大の作曲家の一人である。ショスタコーヴィチの音楽には暗く重い雰囲気のものが多いが、その一方でポピュラー音楽も愛し、ジャズ風の軽妙な作品も少なからず残している。
バポス ランパン スモーク ワード ねじめ ブルー ケチャ ゴム編み じゃっこ リッチ マリンスノ ラーマー パブコメ フェテ タリア 森の小人 ザイール パパ シエナ ユニット アセビ ムスク フォルタ メンテ ミサンガ ディス ジーンズ ニュート ブラッシ ブロック タイチュー ブルネット フラワー チュート ダブル クーチュ エアリアル スワジ 地平線 セミオート パテント 黒いカバン リンパ バトン 人魚姫 ハンドガン ラスプーチ スイン クラウト ターテー

当初、体制に迎合したソ連のプロパガンダ作曲家というイメージで語られていたが、「ショスタコーヴィチの証言」[1]が出版されて以後、ショスタコーヴィチは皮肉や反体制といったイメージによって塗り替えられ、「自らが求める音楽と体制が求める音楽との乖離に葛藤した、悲劇の作曲家」として西側諸国における演奏の機会も急激に増加した。ソ連の芸術政策に少なくとも表面上は迎合し、分かりやすい音楽を多く作曲したため、難解な現代音楽が隆盛した20世紀のクラシック音楽界にあっては珍しく大衆的な成功を勝ち得た稀有な作曲家のひとりとなった。

1906年 9月25日、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに生まれる。
1915年 春、両親に連れられて初めて劇場を訪れ、オペラ(リムスキー=コルサコフの《サルタン王の物語》)を観る。夏には母親から初めてのピアノのレッスンを受ける。秋、シドルフスカヤ商業学校に入学。作曲も始める。
1916年 グリャッセール音楽学校に入学。
1917年 2月、街路上で同年配の少年が警官に殺害されるのを眼前で見る。同月、グリャッセールのところへ通う興味を失ってしまう。
1918年 秋、ローザノヴァにピアノを師事。(1917年とも)
1919年 第108労働学校が閉鎖。ユストニナ校に転校。秋、ペテルブルク音楽院に入学。
1921年 ユストニナ校を中退。
1922年 父が死去。
1923年 音楽院のピアノ科を修了。夏休みを利用した結核療養のために訪れたクリミアで、初のピアノ・リサイタルを開く。
1924年 11月、映画館「スヴェトラーヤ・フィリム」でピアノ伴奏のアルバイトを始める
1925年 作曲科の修了にともない、音学院を卒業。修了制作として交響曲第1番を作曲。
1926年 5月16日、交響曲第1番初演。秋、音楽院の大学院課程に進学。
1927年 1月、第1回ショパン国際ピアノコンクールに出場。
1928年 メイエルホリド劇場の音楽部長として1月から3月まで勤める。
1930年 バレエ音楽「黄金時代」完成し、レニングラードで初演。失敗する。
1931年 バレエ音楽「ボルト」完成し、レニングラードで初演。同じく失敗する。
1932年 科学者ニーナ・ヴァルザルと結婚。婚約記念として書き始められた歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を彼女に献呈。8月、作曲家同盟レニングラード支部の運営委員に選出。
1933年 軽音楽に関するレニングラード市の委員会の委員になる。ピアノ協奏曲第1番初演。
1934年 レニングラード市アクチャーブリ区の区議会議員に選出される。
1936年 歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(1月)とバレエ「明るい小川」(2月)に対するプラウダ批判。5月30日、長女ガリーナ生誕。
1937年 春(一説には1月)、レニングラード音楽院に講師として勤務(後に教授)。交響曲第5番初演(11月21日)。この成功により名誉を回復。
1938年 5月10日、長男マクシム生誕。
1939年 ムソルグスキー生誕100周年記念祭の準備委員会の委員長となる。音楽院で教授に就任。
1940年 5月、労働赤旗勲章受章。ピアノ五重奏曲がスターリン賞を受賞。
1941年 交響曲第7番「レニングラード」を作曲。翌年の初演は成功を収め、同年アメリカでも演奏された。レニングラード音楽院教授を辞任。
1942年 1月、交響曲第7番がスターリン賞第1席受賞。ロシア共和国功労芸術家の称号を授与。
1943年 3月、モスクワ音楽院教授に就任。国歌コンクールに参加。
1946年 ピアノ三重奏曲第2番がスターリン賞第2席を受賞。12月、レーニン勲章受章。
1947年 2月、レニングラード音楽院教授に復職。同月、作曲家同盟レニングラード支部の支部長に選出。10月、ロシア共和国人民芸術家の称号を授与。ロシア共和国最高議会代議員に選出。
1948年 ジダーノフ批判。9月、レニングラード音楽院、モスクワ音楽院ともに教授の職を解任。
1948年 3月、世界平和文化科学会議出席のため渡米(ニューヨーク)。
1949年 オラトリオ「森の歌」作曲・初演。
1950年 「森の歌」がスターリン賞第1席を受賞。10月、ソヴィエト平和擁護委員会の委員となる。11月、世界平和会議出席のためワルシャワ入り。
1952年 「革命詩人の詩による10の詩曲」がスターリン賞第2席を受賞。12月、世界平和会議出席のためウィーンへ。
1953年 交響曲第10番作曲、初演(12月17日)。6月、文化代表団の一員としてオーストリアに派遣される。
1954年 交響曲第10番に関する討議会(いわゆる第10論争)が作曲家同盟で開かれる。8月、ソヴィエト人民芸術家の称号を授与。9月、国際平和賞受賞。12月、妻ニーナ死去。同月、スウェーデン王立音楽アカデミーの名誉会員に選出される。
1955年 東ドイツ芸術アカデミーの準会員に選出される。11月、母ソーフィヤ死去。
1956年 1月、サンタ・チェチーリア芸術アカデミーの名誉会員に選出される。9月、レーニン勲章受章。
1957年 春に開かれた第2回作曲家同盟大会において作曲家同盟初委員長となる。交響曲第11番がレーニン賞受賞。
1958年 オックスフォード大学より名誉博士の学位を授与、イギリス王立音楽アカデミー会員に選出。国際シベリウス記念賞受賞。9月、右手の麻痺(後に脊椎性小児麻痺であることが判明)で入院。
1959年 9月、米国務省主催による文化交流プログラムでワシントンで開催されたソヴィエト祭に、ソヴィエト代表団の一員として派遣される。メキシコ音楽院名誉教授の称号を受ける。
1960年 2月、再び右手の治療のため入院。10月、息子マクシムの結婚式で転倒、右足を骨折、入院。作曲家同盟第1書記に任命。
1961年 9月、ソビエト共産党員となる。12月、入党と引き替えにレニングラード音楽院大学院での教育活動に復帰する。
1962年 交響曲第13番「バビ・ヤール」作曲、初演。ソヴィエト連邦最高会議代議員に選出される。第2回チャイコフスキー国際コンクールの組織委員会委員長に任命される。6月、右手の治療のため三度入院。 月、イリーナ・スピーンスカヤと再婚。11月、ゴーリキー市で行われたコンサートで「祝典序曲」を指揮。
1963年 ユネスコ国際音楽評議会名誉会員に選出。
1964年 バシキール自治共和国人民芸術家の称号を受ける。
1965年 心臓病の悪化で入院。ソヴィエト芸術学名誉博士の学位を授与。
1966年 5月、生誕60周年記念演奏会出演後、心筋梗塞を起こし入院。第3回チャイコフスキー国際コンクールの組織委員会委員長に任命される。8月、イギリス・ロイヤル・フィルハーモニック協会金賞受賞。10月、レーニン勲章受章。社会主義労働英雄の称号を授与。
1967年 3月、オーストリア共和国名誉銀記章授与。9月、右足骨折で入院。
1968年 5月、シャルル・クロ記念フランス・レコード協会1等賞受賞。ロシア共和国作曲家同盟理事に選出。《ステパン・ラージンの処刑》がグリンカ賞受賞。世界平和擁護委員会の委員に選出。
1969年 ウィーン・モーツァルト協会がモーツァルト記念メダルを授与。
1970年 クルガンのサナトリウムで8月まで療養生活を送る。ベートーヴェン生誕200年祭のソヴィエト連邦実行委員会委員長に就任。8月、治療のため再入院。11月、《ソヴィエト民警の行進》がソヴィエト文学・芸術コンクール1等賞受賞。フィンランド作曲家協会名誉会員に任命。
1971年 3月、第24回共産党大会代議員を務める。9月、2回目の心筋梗塞で入院。10月革命勲章受章。
1972年 5月、東ドイツ友好の星金賞受賞。7月、聖トリニティー大学より名誉音楽博士の学位を授与される。スクリャービン生誕100周年祭実行委員会委員長に選出。
1973年 デンマーク・ゾンニング基金名誉賞受賞。6月、ノース・ウェスタン大学より芸術名誉博士の学位を授与。8月、サハロフ非難書簡に署名。姉マリア死去。ラフマニノフ生誕100周年祭実行委員会委員長に選出。
1974年 男声合唱曲《忠誠》、弦楽四重奏曲第14番がグリンカ賞受賞。ソ連邦最高会議民族ソヴィエト〈国民教育・科学・文化委員会〉委員長を務める。
1975年 4月、フランス芸術アカデミーの名誉会員となる。最後の作品「ヴィオラソナタ作品147」完成。7月、体の不調を訴え入院。8月4日に再入院の後、8月9日、ソ連の首都モスクワの病院にて肺ガンで逝去。8月14日、ノヴォジェヴィチ墓地に埋葬される。

1919年ペテルブルク音楽院(後にペトログラード音楽院、レニングラード音楽院)に入学。専攻は作曲とピアノ。1925年に、同音楽院作曲科の卒業作品として作曲した交響曲第1番において国際的に注目された。1920年代後半から1930年代前半にかけては、アルバン・ベルクやダリウス・ミヨーなど西欧の革新的な音楽技法を吸収し、舞台音楽を中心に多くの楽曲を作曲。特にピアノ協奏曲第1番ではジャズに、歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』ではベルクの歌劇『ヴォツェック』などに触発された音楽となっている。しかし、1936年に歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』とバレエ『明るい小川』が、ソヴィエト共産党機関紙『プラウダ』で批判(プラウダ批判)を受け、自己批判を余儀なくされる。そのような状況下、批判前に作曲し、オーケストラでリハーサルまでしていた交響曲第4番の初演を撤回。批判以後、改めて作曲された交響曲第5番以降、それまでの作風から一転し、政府が自国の音楽に求めた「社会主義リアリズム」-「形式において民族的、内容において社会主義的」 - の路線に沿う作風の作品を発表し続けることとなる。

1930年代後半から1940年代前半にかけては、交響曲や室内楽曲を多く作曲。中でも、スターリン賞を受賞したピアノ五重奏曲や、友人の突然の死を悼んだピアノ三重奏曲第2番、独ソ戦開戦直後から書き始められた交響曲第7番「レニングラード」が有名である。

1948年、ソヴィエトの作曲家のほとんどが「形式主義者」として共産党により批判(「ジダーノフ批判」と呼ばれる。)されると、オラトリオ『森の歌』や映画音楽『ベルリン陥落』、カンタータ『我が祖国に太陽は輝く』など、あからさまに当局に迎合した共産党賛美の作品を多数作り、名誉の回復を勝ち得た。一方、ヴァイオリン協奏曲第1番(1948年)や『ユダヤの民族詩から』(1948年)、弦楽四重奏曲第4番(1949年)など、この頃書かれた作品のうち、何曲かは公表が控えられ、多くはスターリンの死後に発表された。

1953年スターリンが死ぬと、第9番以降、ジダーノフ批判があってから書かれていなかった交響曲(第10番)を約8年ぶりに発表。曲の内容の暗さと「社会主義リアリズム」との関係において、大論争(いわゆる第10論争)を巻き起こし、国外でも大きく報道された。

1950年代後半から晩年にかけては、交響曲、協奏曲、室内楽曲、さらには声楽曲で傑作を多数残した。特に、当局の締め付けが和らいだスターリン死後から1960年代前半までのいわゆる「雪解け」の時期には、演奏が禁止されていた作品の名誉回復(『ムツェンスク郡のマクベス夫人』でさえ、中規模程度の改訂の後、1963年に復活上演された)、交響曲第4番やヴァイオリン協奏曲第1番といった公表が控えられていた作品の発表、「社会主義リアリズム」の概念にとらわれない近代的で斬新な作風の作品(弦楽四重奏曲第7番や『サーシャ・チョールヌィの5つの詩』、映画音楽『ハムレット』など)の発表が相次いだ。特にこの時期を代表する作品が弦楽四重奏曲第8番と交響曲第13番の2曲である。弦楽四重奏曲第8番(1960)では、曲の大半で自作の引用を大々的に行うほか、ドイツ音名の自分のイニシャル「DSCH」の音列を中心主題の素材として用い、自身へのレクイエムとした。また、交響曲第13番「バービィ・ヤール」(1963年)は、ナチによるユダヤ人の大虐殺を、ウクライナの谷底バービィ・ヤールで起こった実際の事件を取り上げて告発。共産党によりテクストとして用いた詩の書き換えを要求されるなどの事件もあったが、1930年代、1940年代のような厳しい批判にはほとんど晒されることもなく、音楽には一切手が加えられず現在でもショスタコーヴィチの代表作として聴かれている。また、60代を過ぎた1960年代半ば以降は、透明で熟達した技法の深化や(『ミケランジェロ組曲』やヴァイオリンソナタ、ヴィオラソナタなど)と共に、十二音技法やトーン・クラスター(『A・ブロークの詩による7つの歌曲』や交響曲第14番など)など、前衛的な作風へのアプローチを再び試みるなど、死の直前まで意欲的に作曲を続けた。ショスタコーヴィチの最晩年を代表する傑作は、次の3曲である。まず、交響曲第15番(1972年)は、ロッシーニの『ウィリアム・テル』序曲や、ワーグナーの楽劇『ワルキューレ』の運命の動機など他作曲家の作品の引用を大胆に行い(自作の交響曲第4番の引用もある)、自身の音楽的回想とした。弦楽四重奏曲第15番(1974年)は、すべての楽章をアダージョとした異色作。ベートーヴェンのピアノソナタ第14番『月光』からの引用もある。死の1ヶ月前に完成し、作曲者自身聴くことの出来なかった遺作ヴィオラソナタ(1975年)は、どこまでも透明でショスタコーヴィチの「白鳥の歌」と呼ぶに相応しい傑作。

またピアニストとしても活躍した。卓越したテクニックを有し、音楽院を卒業してからは作曲家になるかピアニストになるか真剣に悩んでいたほどである。第1回ショパン国際ピアノコンクールにソヴィエト代表の一人として選出され出場・入選したほか、2曲のピアノ協奏曲や『24の前奏曲とフーガ』など、自作の初演・録音も多数行なった。しかし、後年は脊椎性小児麻痺の影響で右手が不自由となり、ピアノを弾くことが出来なくなった。また大のサッカー好きで、地元のサッカークラブのスコアをメモ帳に書き記すなどの熱狂的サッカーファンだった。ちなみにサッカーの審判の資格も持っていた。

作風
ショスタコーヴィチの作品には、J.S.バッハのフーガ、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲、マーラーの交響曲、ベルクの和声語法や引用法などの影響が見られ、オーケストレーションはあまり楽器の音色を混ぜない原色配置である。原則としてショスタコーヴィチの音楽は調性音楽の範囲内にあるが、無調的な主題を用いることも多く、最晩年には十二音技法を自分なりに消化した独自の音列技法やトーンクラスター等の前衛技法を用いたりしている。戦争や生死などをテーマとした重い作品が多い一方、交響曲第9番やジャズ組曲のような軽妙な作品も多く作曲している。

一般に作風の変化の境界点は、以下の項目に分けられる。

初期
作品1~作品46(1919~1936年) 少年期から音楽院入学以前の極初期は除き、ショスタコーヴィチの作風は、前衛的な音楽から出発したといってよい。例えば、交響曲第1番の冒頭では、グラズノフに和声の変更を指摘されていた。しかし、「前衛的」と最もはっきりとわかる初期の作品としては、『弦楽八重奏のための2つの小品』(作品11)、ピアノソナタ第1番(作品12)、格言集(作品13)、そして交響曲第2番(作品14)がある。しかし、『タヒチ・トロット』(作品16)や映画音楽『新バビロン』(作品18)以降は、ジャズやボードビル、キャバレー・ソングなど、軽音楽の洗礼も受けることとなる。この分野の傑作としてはバレエ『黄金時代』(作品22)、劇音楽『条件付の死者』(作品31)、ピアノ協奏曲第1番(作品35)などがあるが、列挙に暇がない。交響曲第4番(作品43)の第3楽章の中間部は、明らかに軽音楽の影響が濃厚である。ショスタコーヴィチの、新ウィーン楽派に影響を受けたという意味での「前衛音楽」としての最後の作品は、管弦楽のための『5つの断章』(作品42)である。この作品は、交響曲第4番同様発表が控えられ、初演が行われたのは1965年になってからである。初期はロシア音楽の伝統を受け継ぎながら最新の音楽を取り上げるなど機智と独創性に富んだ作風であったが、オペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』がスターリンの怒りを買い、折からの粛清が絶頂期にあることも鑑み、前衛色は失われていった。

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社会主義リアリズム
作品47~作品92(1936~1953年) 交響曲第5番(作品47)以後、ソ連政府が強制する社会主義リアリズムへと作風を大きく転換させた。特徴的なのは、作品ジャンルに映画音楽の占める割合が非常に高い点が上げられる。もちろん、ショスタコーヴィチが音楽を担当した映画は「社会主義リアリズム」に基づいたテーマのものばかりで、ロシア革命を主題としたものが多い。例えば、ノンポリの学生が革命の理念に目覚め、社会主義的に成長する姿を描いた『マクシム三部作』(『マクシムの青春時代』作品41、『マクシムの帰還』作品45、『ヴィヴォルグ地区』作品50)、ロシア革命の英雄チャパーエフの活躍を描いた『ヴォロチャーエフ砦の日々』、暗殺されたキーロフを髣髴とさせる人物が主人公の『偉大な市民』2部作(作品52、55)、ロシア革命におけるレーニンとスターリンの活躍を描いた『銃を取る人』(作品55)、ロシア革命後の赤軍と白軍との内戦を描いた『忘れがたき1919年』(1952年、作品89)である。中には、弦楽四重奏曲第1番(作品49)や交響曲第6番(作品54)のように、作曲の意図が今ひとつ不明確な作品がないわけではない。また、第二次世界大戦の勃発で、政治犯への政府の取り締まりは和らぎ、ショスタコーヴィチもこの時期、ピアノ五重奏曲(作品57)や交響曲第8番(作品65)、ピアノ三重奏曲第2番(作品67)などこの路線から離れた作品もいくつか残している。しかし、基本的にはスターリンの存命中は「社会主義リアリズム」に準拠した作品を書いたといってよい。特に、1948年に「ジダーノフ批判」が出てからは、オラトリオ『森の歌』(作品81)や映画音楽『ベルリン陥落』(作品82)、『革命詩人の詩による10の詩曲』そしてカンタータ『我が祖国に太陽は輝く』など、再び意識したように「社会主義リアリズム」色濃い作風の作品が目立っている。しかし、これらの作品は意識的に作風を「捏造」した「お仕事」であって、いわば偽名や文書を偽造するときに用いる作られた筆跡なのである。歌劇『賭博師』や交響曲第8番、ヴァイオリン協奏曲第1番は、それらよりは比較的本来の筆跡に近い作風の音楽と思われるが、このような例は少ない。自由に作曲が出来ない代償行為として、公的な活動に時間を割いていた節もあるが、とはいえ、共産党賛美、スターリンの個人崇拝といった作品のテーマだけでなく、作風がどの程度ショスタコーヴィチにとって不本意なものであったかは、知る由もない。

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ユダヤ音楽への傾倒
第二次世界大戦が始まった頃から、ショスタコーヴィチの作曲家としての関心が「ユダヤの音楽」に向かっていたことは、特筆に価する。1930年代の半ば頃からその兆候は表れはじめるが、具体的な作品として最初に「ユダヤ趣味」が顕著に見出せるのは、ピアノ協奏曲第2番第2楽章においてである。交響曲第9番フィナーレの後半には、ユダヤ人には「それ」としてハッキリ分かる形でユダヤ音楽が引用されているというが、作品テーマがそのものズバリなのは『ユダヤの民族詩から』1曲で、その他の作品では交響曲第13番に間接的に認められる程度である。もちろんショスタコーヴィチはユダヤ人ではなかったし、ユダヤの血は一滴も流れていない。しかし、マーラーへの興味をはじめとし、ショスタコーヴィチの周りには、例えば親しい友人に作曲家のヴァインベルグ、俳優S・ミホエルスなどユダヤ人は多かったし、音楽院の愛弟子でレニングラード攻防戦で戦死したユダヤ人、V・フレイシュマンの未完のオペラ『ロスチャイルドのヴァイオリン』の補作を行ったこともある。このほかオーケストラの団員にもユダヤ系は多く、彼の周囲には常にユダヤ人がいた。ショスタコーヴィチがユダヤの音楽に興味を持ち、自分の音楽の中にユダヤ音楽的要素を入れるには十分な状況といえるだろう。晩年のスターリンはユダヤ人虐殺を計画しており、ショスタコーヴィチにも当局の手が伸びてもおかしくない状況であったが、自身はユダヤ人との交際を止めなかったほどである。幸いスターリンの死で迫害は終わり、ショスタコーヴィチは堂々とユダヤ音楽的な作品を発表した。同じ体制に迫害された者としての共感もあり、ユダヤの音楽への傾倒は、ショスタコーヴィチの音楽を聴くとき、常に頭の隅においておきたい要素である。

2009年01月18日

銀河鉄道物語 〜忘れられた時の惑星〜

銀河鉄道物語 〜忘れられた時の惑星〜』(ぎんがてつどうものがたり わすれられたときのわくせい)は、日本のOVA・SFアニメ作品。現在アップフロントワークス(ピッコロタウンレーベル)よりDVD全4巻リリース。
本作品は2003年10月-2004年にかけてテレビ放映された銀河鉄道物語(以降“第一シリーズ”)の第二シリーズとして作られたものであり、第一、第三シリーズと同様に銀河鉄道999の作者である松本零士が原作者としてクレジットされている。

冒頭に述べた通りOVA作品ではあるが、DVD発売に先んじ、2006年12月30日から2007年1月5日までパワープラッツで「DVD発売前特別放送」と冠し、PPV方式でテレビ放送された。また、2007年春には東京・大阪にて単館レイトショーがそれぞれ行われた。

物語としてはこれまで本作と世界観を共有しながらも交わる事のなかった『999』の登場人物であるメーテル・星野鉄郎・車掌が登場し、SDFメンバーとの“夢の共演”が実現、999号も登場する。

作画に関しては、1-3話目までは松本の画風を活かしたものとなっているものの、最後の4話目は雑な部分が目立つ。

舞台は銀河鉄道が停まらない「忘れられた時の惑星」と呼ばれる星・惑星ヒーライズ。エターナル銀河へ向かう途中であった銀河超特急999号から銀河鉄道管理局にヒーライズの衛星デュエートの駅を発車後、事故に巻き込まれたとの救難信号が届く。乗客の安否も、星の情報もまったく不明。ありえない事態に動揺する管理局はSDFシリウス小隊に緊急出動命令を下す。

登場人物
有紀学(声優:矢薙直樹)
ルイ・フォート・ドレイク(声優:真田アサミ)
レイラ・ディスティニー・シュラ(声優:麻上洋子)
シュワンヘルト・バルジ(声優:大塚明夫)
デイビット・ヤング(声優:緑川光)
キリアン・ブラック(声優:石田彰、回想シーンでの幼少時:木村はるか)
セクサロイド・ユキ(声優:鈴木菜穂子)
星野鉄郎(声優:野沢雅子)
メーテル(声優:池田昌子)
車掌(声優:肝付兼太)
ドタキャン ターム みゅすか オプテ オースト ヌクレ バコマ ソプラ シャン ライナ オオボ チョン ネコン ブロス ロード おおだま バリア チャーム ヤブコウジ シアター 風模様 フェニック ジェット サーチ群青 トウバ マルア コンバレー サンベ ジャンパ アパチャー フィジカ キュリー スカンジ シガー タワナ マンガ グーイ デュオ トリレ ラジアン ピーチ パール チーム ビースト オシロ エリトリア トラッ トデー 樹やしき リュウノヒゲ

マシュー(声優:大平透)
モデスト・イシュト (声優:安原義人)
ローナン(声優:加藤亮夫)
リオナ(声優:渡辺美佐)
執行人A(声優:宮林康)
執行人B(声優:斉藤貴美子)

スタッフ
原作・総設定・デザイン:松本零士
企画・プロデューサー:こんひろし
監督:大庭秀昭
脚本:むとうやすゆき
キャラクターデザイン・総作画監督:千葉道徳
オリジナルメカデザイン:板橋克己(零時社)
音楽:青木望
音響監督:塩屋翼
エグゼクティブプロデューサー:柳田康友
プロジェクトプロデューサー:尾崎健一
企画・制作:プラネットエンターテイメント
製作:コモンウェルス・エンターテインメント