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小田原高校のある八幡山上に置き

中世では、本丸を現在小田原高校のある八幡山上に置き、現在の本丸付近には居館が構えられていた。最高所となるお鐘の台を取り込み、小田原城は八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだ惣構えは、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいた。

近世には大久保忠世・稲葉正勝によって改修され、本丸を中心に、東に二の丸および三の丸を重ね、本丸西側に屏風岩曲輪、南に小峯曲輪、北に御蔵米曲輪を設け、4方向の守りを固めていた。この他、小峯曲輪と二の丸の間に鷹部曲輪、二の丸南側にお茶壺曲輪および馬屋曲輪、二の丸北側に弁才天曲輪と、計4つの小曲輪が設けられ、馬出(うまだし)として機能した。建造物としては、本丸に天守および桝形の常磐木門、二の丸には居館、銅門、平櫓がぞれぞれ設けられ、小田原城全体では、城門が13棟程、櫓が8基程建てられていたものと考えられている。江戸末期には、海岸に3基の砲台が建設されている。

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元々は、平安時代末期、相模国の豪族土肥氏一族である小早川遠平(小早川氏の祖とされる)の居館であったが、室町時代中期、1416年(応永23年)の上杉禅秀の乱で禅秀方であった土肥氏が失脚し、駿河国に根拠を置いていた大森氏がこれを奪って、相模国・伊豆国方面に勢力を広げた。
1495年(明応4年)(ただし年代をそれ以後とする説もある)、伊豆国を支配していた伊勢平氏流伊勢盛時が大森藤頼から奪い、旧構を大幅に拡張した。以来北条氏政、北条氏直父子の時代まで戦国大名北条氏の5代にわたる居城として、南関東の政治的中心地となった。

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2009年11月13日 13:35に投稿されたエントリーのページです。

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